ハルツの真珠STOLBERG
Stolbergの町のホームページ

今回のイースターのお休み、旦那とともに、どこに行こうかと思ってはいたのだが、案の定、仕事がらみになってしまった。
もう一度、2000年に行った同じ場所へはいきたくないよ!という、旦那の文句を聞き、妥協案として、通り道に、じゃー、あんたのお好きな場所に参りましょうよん、と、やってきたのがこの町、シュトルベルグ。
この町に到着する前には、やはり旦那の希望で、
KYFFHAEUSER(キフホイザー)なる小山に登ったが、こっちは、全くたいしたことも無く、ザーゲ曰くの、バルバロッサの眠る山にしては、お粗末様だと、思ってしまった。


駐車場から登って帰ってくるまで、1時間以上かかったので、ここ、シュトルベルグに来るまでには、すっかり疲れ果ててしまった。

私は、ミシュランと、日本語のガイドブックを何冊か抱えていったのだが、旦那の方は、DDRとかかれた、古いドイツの保険会社が出版しているガイドブックを見て、ここに来たくなったらしい。

キフホイザーが、あんまり面白くなく、日本という80%以上が山の国からきたものにとっては、え〜!これで山なの?!!ともいえる小高い丘だったので、ドイツ人の感激する場所と、日本人の感激する場所は、違うんだからね!ぶつぶつぶつ、、。
なんて、文句を言いながら、この町にやってきたら、、、。
ここは、まるで、おとぎの国ではありませんか!!



南ハルツの森のメルヘンの町
シュトルベルグ



リッター門(12c)から、お城が小さく見える。

シンケルの設計したホテル
旦那は、この町にあるホテルにとまりたかったらしい。
かの有名な、カール=フリードリッヒ=シンケルが設計をしたというホテルなのだそうだ。
こんな、山の中の小さな町に、あのBERLINの町並みを殆ど手がけたといっても過言ではない、あの新古典主義の巨匠の作品?があるとは、、。

でも、残念だったけれど、翌日には3つも町を駆け回ったあげくに家まで帰らなくては、ならない(訪問の約束があった)というタイムリミットがあったので、ここに泊まる訳には、いかなかった。
かわいそうだったけれど、、、、。
CAFEのなかを覗いて見ても、だーれも居なかった。
未だ、この山深い場所は、シーズンが始まるところまでは行っていないのだろう。

この町は最高よ〜!

凄いHIT、ヒット〜!

なーんて、叫びながら、私はシャッターをどんどんきったのだが、ぐすん、あんまりよい写真は撮れなかった。
腕が悪いんじゃなくて、もう光線が弱すぎたと思ってくださいね!(と、言い訳は、みっともないっす?)


観光局のインフォでもらった、パンフを時間の制限があったので後で読んだところによると、キャッチフレーズは、南ハルツの真珠、歴史的なヨーロッパの町並み、そして、トーマス=ミュンツアーの町とある。(彼は1489年にこの町で生まれた)
1993年には、ヨーロッパの、選抜の歴史的町並みコンテストにおいて、最初の栄冠を勝ち取った町でもあるらしい。
どうして、ココがまだガイドブックにはのっていないのか?
元東独は、10年以上経っても、まだ、まだ再開発されていないところが多いからな〜。

木骨組みの家の前のトラバント
旧東独では、いまだに見かける

右手の建物は市庁舎(1454年建造)

一番奥の塔はザイガー塔(1496年)

これは、町の広場から見たザイガー塔

これもまた、パンフによると、小さな町の偉大な歴史とあるが、1000年以上前から、このあたりには、豊富な金属鉱石が取れたために、それを採掘する人の集落が存在した。
初めてこの町が文書に現れるのは、フランクフルトアムマインも、そうだが、京都平安京遷都と同じ年、794年のことだそうだ。
1300年になる前には、自由都市になった。
16世紀に、今、有るような町並みが、後期ゴチックとルネッサンス様式で、形成された。
15〜16世紀にかけて、この町の主な収入は、鉱山によるものだった。
貨幣の鋳造権も、獲得し、町は最盛期を迎える。
2000種類に及ぶコインが銅や銀によりこの町で鋳造された。
ザイガー塔は、鋳造所だった。

鉱山が衰えると、その後は、織物業が発達したが、それも19世紀の産業革命で、衰退した。

兎も角、町がもっとも栄えたのは、16世紀のようだ。

そしてこの町の魅力は、このような、山間部に位置し、幹線道路からも、主要鉄道のラインからも離れていたために、その町が繁栄した当時さながらの全長1KM以上はある木骨組の町並みが手付かずのままで残っていることにつきるが、この余りに長い町並みを全てカメラのアングルに収めるのは、不可能なのが、いかにも残念だ。
イースター前でも、あるのだけれど、イースターの卵や、
ウサギや、鶏の飾りものよりも、
魔女

さすがに
、本場だけアル!?
4月30日の夜(ハルツで魔女の集会が行われると言う伝説があるのだ)に、もうすぐということもあったのか、町の至るところに、魔女人形が飾ってあった。

キフホイザーで時間を取りすぎ、ココでゆっくり出来なかったのが悲しかった。

次回はゆっくりしたいと、心から思った町だった。

これをupするにあたり、検索すると、既に、ものすごくアカデミックな、シュトルベルクについてのページがありました。
岡田さんのページです。是非linkへ飛んでみてください。

これを前に、知っていれば、もっと楽しめたのに、、、、な。
シュトルベルグー南ハルツの真珠
シュトルベルグのクレッペル
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