2002年2月 2月9日〜2月14日(NO1)   
2月9日(土)曇り時々雨でした
今日は私のまだ未完成のHPの、ノルデナウの項を見て、遠路はるばる沖縄の慶良間諸島から3日がかりでやってきてくれたTAKEさんたちと、今回で私は4回目になるノルデナウへと向かった。どういうわけか、ノルデナウへの道すがらはいつも天気はあんまり良くない。幸い、100年ぶりの暖冬のため、前回雪で4時間もかっかた道には雪はなく、スムーズだったが雨と霧のため、またまた、ミステリームードは満点だった。途中、ノルデナウの村にはスーパーもないので、ALDYによって買い物をする。ヨーロッパは初めて、でも年に2〜3回はカリブの方へカジキまぐろをつるために中南米まで行くという彼らは、とても旅なれていた。案の定、ビニールの買い物袋はもらえないんですか?と、聞かれる場面はあったけれど、、。ALDYの安さ、ドイツの物価の安さにも驚いていた。2時過ぎにはPENSIONへ到着。部屋に一緒に入って20日までの滞在中の注意事項や、打ち合わせを民宿のおばさんしたあと、玄関のかぎを預かって、STOLLENへ行き、3時のセッションに入ることが出来た。昨晩も青ひげで飲みながら、彼も相当エネルギーを感じられる方だといっていたが、洞窟の中で深呼吸をすると、体中がびりびりしたとの感想で、彼女の方は逆に頭が痛くなったそうだ。私は毎回のように、ふわふわ感と、後ボーっとして、すごい疲れがどっと押し寄せる感じだ。帰りにゲストハウスで色々なパンフレットをピックアップして、帰路についた。彼らは11日間民宿どまり。クアゲストカードで近隣30KMほどの半径の公共のBUSが無料になる特典を使って、観光も楽しめるようになっている。良いシステムだなと思う。帰りはMARBURG経由のルートを今回初めて使ってみる。1度TRYしたときは、スキー客で身動きできず、Uターンをして又同じ道を帰ったのだが、今日は土曜日だがスキー客は皆無。だって、雪が全て溶けているんだから、、。WINTERBERGの町がこんなにりっぱで、大きな町だとは知らなかった。ジャンプ台もあって巨大HTLまである。インフォには、VVVとかかれてあって、これではまるで、オランダにいるかのよう。黄色いオランダのナンバープレートが多くてオランダ人の観光地と化している。これほどとは知らなかった。19時には我が町到着。久しぶりにチャイニーズに行く。オーナーが又代わっていたが、鴨は美味しかった。旦那にウェイターが、前にはパイプを吸ってたお客さんでしょう?と聞いてきた。そう、今は暇が無くてもうパイプは止めてしまった。前は良くいらしていたのに、、。僕も97年から最近までいなかったんですという。あの頃は確かに頻繁に外食してた。特にはやく料理の出てくるチャイニーズ専門だった。だって、あの頃は私の仕事がいそがしかったんだもの。
2月10日(日)晴れ時々曇りのち雨と雹で判らん天気。
昨夜、夜中2時過ぎまでUP。今日も、12時から13時まで中断して食事を作ったが、後はほとんどPCの前。憑かれたように、HPつくり。ゆーみんと昨日のことを電話で報告。夕方、もう、目がやられてスクリーンを見られなくなり、寝室で久しぶりにTVを見た。読書したくても、本も読めない。今回はウサギ目になる前に退散。
2月11日(月)曇り
折角旦那孝行と思って?マインツのカーニバルオフミはPASSしたのに、旦那はEベイで買ったハイファイを車に取り付ける作業で忙しく、食事も忘れている。一昨日までは、BRAUNのハイファイをLIVINGに取り付けていたが、今日は,車にスピーカーを取り付けているのだ。前のY○○HAのサウンドがキーキーいって気に食わん、デジタルサウンドはあかんらしい。確かに高音部が耳ざわりだった。オークションで手に入れたBRAUN、前のは一旦返品してまたGETしなおしたらしい。うちの家には前前からほとんど新品というのはあんまり無かったんだけど、(ちなみにシステムキッチンは義理の母のお古なのでもう40年近く前のやつ。新品の食器洗い機ををごく最近買い足した)ほとんどなんでも、Eベイで買い物するようになって、益々、新品はなくなりそう。私の洋服も、イタリア人経営のセコハンショップで最近は買うようになったから、一番新しい新品の品は、そうだ、去年の5月に買ったVAIOだ!960Gなのはいいけど、画面が小さいのとMEなんで、あんまし使ってないけど、、。夜、カーニバル帰りの電車の中からゆーみんがTELくれる。3時間も立ちっぱなしでZUGをみていたんだそうな。私にはできんなあ。年には勝てんよ。
2月12日(火)晴れのち曇りのち大雨でびっくり
今朝ベッドで薄目を開けてデジタル時計を見ようとしたら消えている!旦那の方の時計も、TVの電源も、電気もつかないではないか?LIVING,台所全ての電気が来ていない。ヒューズを触っても何にも起こらず、、。電話もISDNなんで繋がらない。どうしよう!ちょっと、パニクってと15分ぐらいああでもないこうでもないと、隣の家に電気はきてるかな?と覗いてみたり、、。やーん、PCで遊べないじゃん。食事は電気のせいにして作らなくてもよいとして、何してだんな帰ってくるまで遊んでりゃいいんだ!と怒りの心境で部屋を仕方なくかたづけはじめた。小一時間ほどたったら、留守電とFAXに反応が来て、電気が戻ってきた!全く〜。時々、何の前触れも無く電話が繋がらなくなり、大体1時間ぐらいで再開通はするのだが、、。何の前触れも、回覧が回ってくる訳でもなく、どないなってんねん?今日も、PCついてるときに電源急に切れたらどうしてくれるん?と思った。停電の時は日本ならちゃんと事前連絡があるでしょう?昼過ぎに旦那が帰ってきたら、裏の通りで道路工事をしていたそうできっと、それが原因だよ、でおしまい。13時半頃、うるさいな、ざわざわしてるな、と思ったら、この界隈のカーニバルの行列はどうも今日らしい。台所の窓から、表の通りが見通せる。兵隊さんや、魔女やピエロたちのあんまり長くない行列がブラスバンドと通り過ぎた。なんのことない、それだけだった。いつもは旦那が学校の間に長電話だが、今日は停電で出来ず、昨日きたメイルのの関連で、3人と合計4時間も駄弁ってしまった。安くなった電話代のお陰だ。遠距離も、近距離もほとんど同料金、1分が2.6CENT,日本までも今日の時点で1番安いのは1分4.6CENT日本円でなんと1分5円ほど、信じられないほど安くなった。昨日も日本に1時間ぐらいかけてたな。夕方、買い物へ町に出るが2件スーパー回ってどこも寄り道せずに帰ってきた。町のパブにはさっきの行列の人たちがたむろしていた。帰り道、昨日私がオフミに行かなかったので、旦那が機嫌をとってるつもりなのか、今週はヴィスバーデンへでも買い物にいこうな。だって、、。
2月13日(水)曇り時々しとしと小雨
昨夜も午前2時過ぎまで結局NETで遊んでいた。旦那のスキャナーがうまくいかないとかで、二人とも、遅くまでおきていたが旦那はいつものように6時前には起きている。可愛そうだけど、勝手に朝食食べて出て行って頂戴。ゆーみんからのモーニングコールで今日もお目覚。こういうとき、ISDNは便利なのかどうか、他の電話がかかり、途中で中断して、話し始めると、次々にTEL。信じられないことに、そのまま、ず〜と、TELしつづけて昼食時間の1時間弱を除いて今日は朝から午後4時半まで、のべ6人と喋りっぱなし。大体かかってくる、かけなくてはいけない時は、集中するんだよな。前前から興味はあったけど、忙しくて、参加できなかったVHS(国民大学)の日本語教師の会主催の研修会に、今年は世話役の方が、知り合いというか、GUIDE研修旅行で同じ年という事で意気投合した方だったことも理由で、参加表明をすることにした。彼女曰く今VHSで教えていなくても良くて、将来教えることになるかもしれない人も対象なのだそうで、日本にいた時には、英国人と米国人には個人ベースで教えていたことがあるけど、英語圏の人のための教材は日本に豊富にあったので、先生のマニュアルを買えばそれこそ、わるいけど、誰でも教えられるって感じで、襟を正してメソードを習うなんてことは、なかったんだけど、、。聞けば、日本政府からも援助金が出ているので、講習料も、それに伴う宿泊代金も、安いのがなんといっても、金欠病の私には魅力だった。旅行業界にもかげりがでてきた感もあるし、何かこのドイツの税金システムを考えると、あくせく働くのは馬鹿らしくなってしまう。でもうん十年前に卒業して、半年以上も、こんな風に仕事がなくてぶらぶらしていた時期がいまだかつて無かったので、こんなんに慣れちまうと職場復帰できなくなりそう!だって、めちゃ、たのしいも〜ん。これだから、パラサイトは止めれん!(旦那ごめんね)
2月14日(木)晴れて青空が見えてました。でも寒くなった4℃
昨日の不謹慎な言い回しでTAKOちゃんから、クレームがはいる!そりゃそうだ、私みたいに職場の同僚と其の友人達に交換授業もしくは奉仕で教えてたのと、本職の教師とはちがう!のだから。

教師といえば、思い返してみると、IFの世界だが、あの時あの先生がたに会わなかったら私の人生も変わっていたかもしれない,という事が皆さんにはないだろうか?私が在る女子校を選んだきっかけは御所の近くを歩いていて、パイプオルガンの無料コンサートに出くわしたことから始まる。其の頃、そんな立派なパイプオルガンは日本には3台しかなかったそうだ。あまりにも荘厳な響き、美しい校舎や講堂、BACHも、もうぴったんこにはまっていた。ひと目で、どうしてもここに入りた〜い。それが理由で、入った学校だった。
この学校、よほどのことを、しでかさない限りは大学まで無試験でいけることも魅了だしね。(ところてんって呼よんでたかな?)この大学が其の頃は(今は違うらしい)英文学科が有名だったので、もう入った当初から大学の学部は英文科とわからないまんまに、疑いもしないで決定していたように思う。
それが、かわってしまったのは、ごめんなさい、英語の先生方。先生方が魅力的な授業をなさってくださらなかったとは言いません。でもそれ以上に、社会科の先生方のユニークさ、多分全部で5人の先生がたに習ったと思いますが、5人とも素晴らしくユニークな授業内容でした。背景に受験校ではない私学だったことが幸いしていたんだとは思いますけど、、。例えば、中国史の教科書は岩波新書(貝塚茂樹著)とか、世界史ではテストのたびに課題図書が出るのですが、それがまたレミゼラブルとか、ジャンクリフトフとか、期末は長編ばっかり。中間はちょっと短い蒼き狼とか、、。そして、ある先生は、調査統計の資料が教科書代わり。一応それぞれの学年ごとに社会科の教科書はあったんでしょうけど、全く覚えが無いんですよね。ほとんど、皆無に近い状態で使わなかったからなんです。
英語の教科書ははっきり覚えてますけど、、。
その後、そのうちのおふたりは私が大学に入ったときには別の大学の教授になられましたから、時期もあったんでしょうが、其の学校の社会科の教師陣は相当レベルが高かったんだといまさらにして思います。
高校3年は、政経で1年間ほとんど、日本近代史をやりました。
ああ〜思い出すと胸躍る幕末。第2次大戦の最後の夏、8月15日に至る経過。1ヶ月ほどの終戦にいたる経過を約半年間やってたとおもう。
其の授業をされた先生に初めて習ったのは高1の日本史。教科書もなく、先生は板書することもほとんど無く、ただ教壇にたってらっしゃるんだけど、ぶつぶつぶつぶつ、、、。しょうがなく先生のおしゃることを、聞き取れるだけノートに書き取る。最初のテストはガガガ〜ン41点!!いまだかつて赤点すれすれの数学だってかろうじて50~60点はとってましたから、生まれて初めての50点以下。どうしよう。このまま、ごみ箱に捨ててしまおうか。と思うぐらいショックでした。おまけに一人一人其の後、廊下に呼び出されて、その先生から御訓示があるというではありませんか!あ〜どうしよう、どうしよう、、、胸はどっきんどっきん張り裂けんばかり。こわばった表情で、テスト用紙を持って、廊下にでてゆき、先生の前に立ち、テスト用紙を先生に見せました。うわっ、しかられるう!と首をすくめると、以外や以外、淡々とした口調であ〜よく僕の話、ノートにとってるみたいですね。よく出来ました。
は〜あ???
と私。あとで旧友に話を聞くと其のときの中間テスト平均点が23〜4点くらいだったそうです。
そういう経過があり、社会科大好き人間と化してしまった私は、結局、社会学科をえらんだわけです。その後、紆余曲折ありすぎてここまで人生来ましたが、多分、今の旦那と知り合うきっかけも価値観一緒やな、、と思えるのも、社会学やってたことと関係が完璧にこれはあります。話がそっちにいったら
根底的な価値観は一緒、と思いますものね。それでもって、青春時代、国が違っても同じ様なこと思ったり、やったりしてたやつがここにもいるんだと、思いましたもん。
あれ、今日は日記じゃなくて回想記のようになってしもた。
あ〜あ、それにしても、今日は巷ではバレンタインデーというそうな。どこぞの方は、去年はバラの花束を旦那様から頂いたそうな。今年は〜?!うちんとこは、当然ですが、な〜んにも、ありませんでした!!
そういえば、偶然か必然か、今日のはじまりは、やはり同じ学校出身者、そして、午後に初めてお会いした方が偶然にもやはり同じ学校の先輩だった。でも、勿論彼女は花の英文科ご出身ですけれど、、。それにしても、どうも、私の出身校はまとまりがわるいのか、ドイツ在住者の呼びかけを見たことがない。他の学校は、○○会とかをつくって私の大好きな飲み会やってるのにな〜。でも、新参者が呼びかける訳には参りませんので、
どなたか〜、 そっと小さくTAKOちゃ〜ん、、。