2月21日〜28日     
2月21日(木)基本的に晴れ
以前から、参加したかったLET’S SPEAK ENGLISH というプログラム、2度程金曜の夜にお母さんのセンターという集会所にて、と、地域新聞とNETで場所を確かめてから行ったのに、建物は真っ暗、誰もいない。まして、どこを探しても、連絡先が書いていなかったので、場所が変わっているのかも、、もうなくなってしまったのかも判らず、どうしようも無かったのだが、今日は、はっきりと、3時から初日と地域新聞にある。晴れていることでもあるし、きっと今日は誰かいるに違いないと、大急ぎで支度をして出かけた。このグループは地域に在住の、40代の主婦が中心となって運営されているらしかった。最高齢の79歳の本当に愛らしい、しかし、とても元気なおばあちゃんを筆頭に、30年ドイツ在住のFINLAND女性、地域在住のドイツ人女性が6人。私を含めて新人2名。総勢9名で、英語でのおしゃべりが始まった。今日は新人を迎えたので、7年続けている人はもうかれこれ100目かなあと言いながら、自己紹介が始まった。3名が年金生活者、生粋の主婦が2名、後はFULLTIMEではないが、セラピストとして働いているひと、事務、をしている人たちらしかった。私の住所をいうと、すぐ隣の人の名前が出てきたが、日本人がこんなところに7年も住んでいるとは知らなかったと皆驚いていた。私の家が位置しているのは、行き止まりの横丁の一番奥ということもあり、確かにほとんど誰とも顔をあわせることなく、車で出かけてしまえる。本当はこの町のVHS(国民学校)でドイツ語をやりたかったのに、誰も人が集まらなかったと、私が話をすると、、去年は外国人のママのためのドイツ語教室をやっていたのよ。でも、町からのお金がもう出なくなって止めになったのよ。と、そこで教えていた元先生が話してくれた。そこでも、外国人の中ではドイツで1番多い、トルコ人の母親達がやっぱり、1番多くて、残念だけど母親に問題があると言う以前に、男尊女卑が普通のトルコ人家庭に問題があり、それを彼らが、受け入れていることが、話題にのぼったのだった。ロシア人も多かったけれど、彼らのドイツ語は基礎がある上に、熱心なのですぐに上達していったそうだ。でも、全くドイツ語の基礎が無く、言語的にも似てなくて、家ではトルコ語しか喋らない環境では、上達は到底無理だったそうだ。そして、どうも、家庭内での母親の位置が、それより前に女性の地位が低いので、子供からの情報は全てを父親に話すことになっているらしく、母親はつんぼ桟敷が当たり前で、例えば、遠足へ、どこにへ、自分の子供が行くのかとかということすら、子供からも教えてもらえないのよ。とのことらしい。旦那の学校でも、トルコ人の子供達は、男性の先生だと比較的大人しく、なんの問題も起こさないが、先生が女性だと、全く言うことを聞かない、女性の癖にという態度に出るのが普通だと言う。ま、勿論トルコ人家庭も千差万別あって、一概にとは言わないが、少なからず、男の子は女性を見下して当然と言う家庭内教育を受けるものらしい。其の後は、アンゴラから逃げてきた孤児の女の子を里親として預かった経験話や、シェリーやぜゼクトを飲んで騒ぐのがすきというような、2時間のおしゃべりの時間は、あっという間だった。ちょうどこの3時から5時という時間帯はドイツでは、ケーキの時間にあたるので、お手製のケーキと、コーヒーか紅茶(これは後で3EUR徴収がある)を頂きながらである。食器を洗って、同じ地区に住んでいるという一番フレンドリーな人が、最高齢女性と私を車で送ってくれた。3月8日はインターナショナルな女性の日の集まりがあると誘ってくれた。彼女の甥が中国人女性と2つむこうの町に住んでいるとのことで、あわせたいようだった。しかし、この日はカーニバルオフミに行かなかった私にとって、楽しみのオフミの日なので、残念だがと断った。この木曜の英会話おしゃべり集会は第3木曜だそうだ。月1の会なのだった。
2月22日(金)雪のち雨のち曇り
今朝、英語のGRPの最年長からTEL.今日はちがうGRPでKURハウスにて19:00から又英語の集まりがあるという。総勢7人、3人のみドイツ人、うちカップルのひとりのみが男性。昨日あった、フィンランド人女性、と、このクラスでは新顔と言う(去年11月)アイルランド人、そして最年長のRUTHはイギリス人(でも元はどうもドイツ人?)でイギリスからの年金でドイツで生活しているらしいことが話の内容から判明。色々話は飛んだがTV俳優とかオリンピックの話には一寸ついていけなかった。アイルランド人のパトリシアが今日は送ってくれた。又すぐに会いたいねというほど、意気投合。次回は3月8日で又ぶつかった!
2月23日(土)曇り時々雨、みぞれ、
あ〜今日はすごーく楽しかったけど、疲れたべー。FRAの影の帝王ことゆーみんと、TAKOちゃん、翼ちゃんがたずねてきてくれた。したがって、朝、少しPC触ったのみで、ほとんど24時間PCからひさし振りに離れた、とはいっても、同じ家の台所にはいたけど。今日は、まるでオフミのいるかの会のようだった。エニアグラムの公理による性格診断をしたり、、日本からのビデオ、ドイツの学校教材用の活性酸素についてのビデオも見た。活性酸素が暴れるのを防ぐ効果のある食品として赤ワインが推奨されていた。栄養素としてはビタミンE,C,βカロチン。就寝午前2時半。
2月24日(日)曇り時々雨雪
食べすぎと飲みすぎがたたり、お昼に起床。PCの前には座るが頭が全然起きない。(いつもか?)BBSに返事したり、NETサーフィンで1日が経過する。EMSの写真の画像処理もしないとけないのに、、。、
2月26日(火)小雨後時々晴れ
朝、大急ぎで出かける支度をしたら、かさを忘れる。取りに家にはいり、かぎをかけようとすると、大通りを乗らなければならないバスが通っていく。これに乗らねば電車に間にあわない。全力ダッシュして、運転手に手を振って止めてもらうのに成功!意地悪な運転手じゃなくて良かった。以前、中央駅で、これは電車だけれど、大急ぎで息を切らして走ってくるの私を確認していたに違いないのに、目の前でドアを閉めて首をすくめた車掌がいたっけ。30秒は早く出発したに違いないぞあの電車!15分ごとに来るんならいいけど、30分の待ち時間。このBUSの場合はこれ以外なし。後は、雨の中2KM歩かねば、駅には到着しないのだから、、。そうやって駅につくと電車は10分遅れ、そのために、ちょうど乗るはずのSバーンをのりそこね、中央駅で又、30分待ち。おなかが急にすいてきてNORDSEEでカラマリとポテトを頂いて時間.待ちをする。パン屋さんには、走りのイチゴクーヘンが並んでいてあまりの大きさの素晴らしさに、血走って思わず買ってしまう。sバーンにようやくのりこみ、今電車に乗りました、コールをする。30分かかり、目的地に到着。家を出発して2時間半後に漸くたどりつける。5時まで、だべりんぐの後、車で市内まで送っていただき、Uバーンで、ゆーみんの事務所まで、、、。ご主人ともご一緒に、3人で仲良く、帰宅路へ。どうしてこんなにおしゃべりが出来てしまうのか不思議,不思議、!女のなせる技か?
2月27日(水)曇りのち晴れ
なんだかFRAオフミが続いているが、楽しいことだ。今日はYUKOさんのカリヨン演奏を聞きに、タコちゃんツバサちゃんと共にレーマー広場で待ち合わせをした。ニコライ教会のバルコニーには、YUKOさんのお陰で、もう今回が2度目。ここからの眺めは絶景。ゲーテ家の人々もここからの眺めを楽しんだと言うが、納得だ。風があって少し冷たかったが、後半は日だまりのベンチでカリオン演奏を楽しんだ。最後に天空のラピュタ、とツバサを下さいで、しめくくり。大勢の人がどこから、どの場所でカリオンが演奏されてるんだ?と言う顔をして、見上げながら通り過ぎてゆくのが、見ていて楽しかった。だって私たちはさっき、その場所にいたんですよ〜。1時からはFRAの卑弥呼も登場、総勢5人で日本食を食べに行く。その後は本屋に行って波動の本を立ち読み。(日本語の本に、ドイツ語訳の別冊付き)、TAKOちゃんをイルカに引き入れようと策略したが無理そう。その後女王様と共に、ぐりゅんさんを訪ねる。今日の私はどこでも出没便乗組(とはいっても、ひとりか?)。そして、帰り、中央駅で別々の電車に乗った私達だったのだが、、。毎度と言えば、毎度で、もう毎日これに乗ってFRAまで通勤するドイツ人には、慣れっこで、怒る気持ちが失せているのだとは想像できるが、私などのように、たまにのっても、これに出くわす確立は30%を確実に上回る。つまりこれとは、またまた、DB(ドイッチェバーンの略だが、我々はデュメバーンつまり馬鹿鉄道、もしくはディフェクトバーン故障鉄道と陰口をたたく)が遅れたのだ。今回は最初、定刻通りに発車したのだが、、、。2〜3M動いて急ブレーキがかかった。あ〜あ、またかなにかあったな。みんな、動揺もせず、又何分かしたら動き出すだろうと思っていた。後ろのほうで、女性の怒鳴り声が聞こえていた。10分15分経過。さすがにちょっと、どうしたのか、遅いぞという、雰囲気が漂う。それでも皆、別段動じない。20分経過。この間日本なら考えられないが、何の車内放送も、ない。警官がうろうろしていたので、後ろを振り返って見ると、ホームにはトルコ人らしき4人家族。車掌と共に警官に事情聴取を受けているらしい。最初窃盗でもやらかしたのか、子供をだしに、、。と思ったがどうも、急ブレーキのことから考えると、子供のどちらかが動きだしている電車に接触したらしい。別段怪我もないようだが、、。ま、何がどうしても書類のドイツだから、警官がきた以上、事情聴取を終えないと、車掌も運転手もそこから立ち去る訳にはいかなくて、彼ら2人がいないと電車も動かないと言うことらしいのだが、定かではない、何の説明も無いのだから憶測の域を出ない。そして、隣のホームにはこの列車の30分後に出発する電車がすでに、入っていた。何人かの人たちは自主的に判断して、隣のホームに歩き始めた。あと、2分で隣のホームの電車の出発時刻だが、館内放送は勿論列車内放送も依然としてない。もうええ加減にせいよ!状況に陥った私は、2人ホームにいたのうちのひとりの車掌に、隣のホームに入っている電車に乗り換えた方が、早く目的地に到着するのか、それとも、このまま、この電車に乗っていた方が早く出発するのか教えて欲しいと迫った。もし、あっちに停車している方が早いのなら、走っていくから、、今なら間に合うからと。こんなときに、全く指示が無く、情報の経過もうながすことなく、30分もじっと待ってるのみ、これがもし仕事だったら1分もさえも惜しんで、一秒でもはやく、家に帰ろうとするドイツ人が多いのに、なんで、こんなときは何も言わずにだまってられるのか、このサービスの悪さに、なれているからか、これが当たり前なのか、もう、じれったいったらありゃしない!ええ加減日本のサービスで育った私には到底理解不可能。結局、30分以上遅れて出発したが、後続も遅れて出発させるにちがいないのだろう。最後で疲れがどっとでた1日だった。旦那曰く、なんで30分ぐらいで、そんな、おこってんねん?あ〜あ、疲れるなあ、彼はあくまで、ドイツ人でした。(私ドイツに来るまで、ドイツ人がこんなに時間にルーズな人たちが多いこと、知りませんでしたよ、まったく〜!)
2月28日(木)晴れ時々シャワー
旦那様に今日は健康診断の予約が入っているので、彼は学校を2時間目までにして、一旦帰宅。私をピックアップしてLIMBURGの病院へと向かう。午前中には終わるので、その後、久しぶりに彼の大好きな中華料理のBUFFETへ行こうという魂胆。DOMの近くのパーキングで私はもってきた本が面白く2時間半も車内で読書。結局どこへもでず、待ち合わせの場所へ赴いた。今日本に帰られている大先輩が面白かったからと貸してくれたのを、読みそびれていたのだ。(日本とドイツ深き淵よりー朝日新聞社偏ー)戦後50年シリーズとして発刊されたものなので、もう、古くなっている部分も無きにしも非ずだが、歴史から一体私達は何を本当に学んだのだろう?どんどん悪い方向にむかっていくのではという、思いに駆られる今日この頃。今日で、2月も終わり。春よ来い来い早く来い。