お待たせ!  MARKSBURG完全解説第2弾ですぞ。
ようやく、次のお部屋が城主の家族たちが住んでいらした場所。ここはいわずと知れた寝室。城主の家族の部屋にのみ、暖炉があったがこの時代はまだ煙突つきの暖炉ではなく、火鉢の暖炉形と、思っていただいた方がよろしいかも、、。ちゃ〜んと、墨は存在したのですね。奥のドアの後ろが暖炉ですよ。ベットが小さくて短いと思われるでしょうが、これはその時代の人たちが余り身長が高くなかったというのも事実ですが、半分起き上がった状態で眠っていたことも、確かなようです。後ろにクッションをじゅうぶんに入れて、半分起き上がった状況で眠っていたのです。以前、ロワールのお城で、これは戦国時代に寝首を教われないように、という、ガイディングを聞きましたが、今回は、その当時の人々はまっすぐに寝そべるのは死人のみであり、棺に入れられるときにのみ身体は平面にするのだと、思われていたのだそうです。そういや、馬も牛も立って寝るからそう思ったのかしらん?手前の長持ちは、言わずと知れた、移動用のたんす長持ちです。でも、その当時の人はあんまり洋服も持っていなかったようで着たきりすずめが多かったようですが、、。

次のお部屋は、騎士の部屋と呼ばれる宴会場、食堂とリビングルームの機能を兼ね備えた部屋。居住空間の中ではもっとも、大きな広さを持つ。テーブルは持ち運びが便利な木製テーブルで、召使達によって、ピクニックの時など野外で食事の機会があるときには、その場所まで運ばれたもの。壁には漆喰が塗られ、絵が描かれている。でも、来客があるのは1年に数回も無く、退屈な単調な中世のお城の生活がそこにはあった。普段に彼らが食べていたのは、堅い乾燥したパンに、塩付けの肉、狩りが成功したときには、盛大に宴会が催されたが、シャンデリアがあるわけではなく、ろうそくも貴重だったので、日が沈むと眠る以外には、するべきことは無かったようですね。


クリッククリック!

騎士の部屋
 
トイレのある部屋の隣は聖人を祭る礼拝堂??
このお城の守護聖人ザンクトマルクスです。
 
生活必需品は自前でした。
トイレの文化も驚きです。食堂と客間宴会場をかねた騎士の部屋のはぼ中央部にありますが、ドアは開きっぱなしにされていました。その当時の人々にとって、トイレとは別に恥ずかしがるものでもなにもなく、客人のまえでも、平気で行った?のだそうです。ちなみに下は庭ですから、自然のハーブのこなしになったのでしょうか?でもその後は、トイレはあのベルセイユでもなかったことはご存知でしょう?ですからある意味では現代に近かった。トイレが存在する!私事になりますが、中国にはじめていったときの、この文化の違いの強烈さには、困り果てました。ドアがないところで、(でも何故か横のついたてはあるんですな)お互い用を足しながら、話をしている女性達、ちなみに上海雑技団のトイレでしたが、あきれて、ホテルまで我慢をしたことを思い出しました。そして、その隣の部屋は、礼拝堂。ここは、お城での鬼門にあたるうウィークポイントの場所にわざわざ作られたのだそうです。弱点を神様が補ってくださるとのことですけど、、??
これらのフレスコ画は1976年に復元されたものだそうです。

お城とは余り関係のないその当時の生活に使われていた道具を展示してある部屋を通り、甲冑の歴史の部屋へと上がります。ローマ時代からの時代順に並んだ甲冑を展示してありますが、一番重くなった折には40KGの重さがあったそうです。これでは身動きが取れません。

何故かYUKINKOの後姿が、、。

拷問器具
詳しく見たい人はクリック!

見せしめの豚マスク
次の部屋は拷問部屋でした。当時は拷問とは自白させる為の常套手段であって特別に悪いことでは全く有りませんでした。

最後の部屋は、鍛冶屋の部屋。
お城には普通このような部屋は作られませんでした。
何故なら火事になる恐れがあったからです。
ここまでで、約50分間のマルクスブルグ城のガイディングツアーは終了する。学生さんというお城のガイドさんにTIPをはずみお別れする。彼女のガイディングはとても魅力的だった。質問にも丁寧に嫌な顔をせずに答えてくれたし、ジョークをとばしながら、大笑いしながらのTOURだった。オフミ友達のぺんたさんのメルマガでも彼女が書いているように、ガイドに当たり外れ(おっと、耳が痛いよう)がある。はずれって言われないように、精進しなくてはなりませんね、、、。
<表紙へ<第1弾へサイトマップへ