シュプレーバルト(SPREEWALD)2002年3月30日(土曜)     復活祭休みの最後の日に訪れた場所
このページのBGMはShoutarouさんのオリジナル曲麗しき乙女(Eine shoeneJungfrau)です!
大都会BERLINで少々疲れ果てた私達が帰り道に訪れたのがここ,シュプレーバルド.。あらかじめ予定には入れてあったので、最終日は既にBERLIN中心部のホテルから、大環状RINGのアウトバーンからすぐのホテルに移動をしていたので、朝は比較的ゆっくり朝食を頂いて、出発できた。昨日は復活祭休みの金曜日。キリストが磔刑にされた日なのだ。行楽のシーズンが始まるのは、まさにこの日からである。今日は昨日に続き、好天に恵まれ、気温も22度まで上がった。日よけのない船に乗っているとじりじり肌が焼かれるような、そんな感じさえする。
学校は私達が住むヘッセン州はもう先週末から休みだが一般のお勤めしている人は、昨日からの3連休となる。このドイツ晴れ?観光で生きているといって過言ではないこのあたりの人々にとっては、まさに天が恵みたもうた、港開きの日であっただろう。このあたりに住んでいる人たちはソルブ人といって、スラブ系の人々だそうだ。(おか@ふらさんのHPに詳しいので参照してください)そのソルブ人の民族衣装を着た人たちが、本格的なシーズン突入の港開きとイースター(復活祭)をかねた催し物に出くわす。我われが2時間コースの一番短いコースから出発した港に戻ってくると、午前中とは比べ物にならないくらいの人出になっていた。ちなみに料金は2時間コース7EUR。3時間コース11UER.4時間で15EURとなっている。日本でこんな船に乗ったらまたベネチアでゴンドラに乗ったらと考えると、安い!の一言だ。
我々が泊まったホテルはオランダ人のグループがたくさん泊まっているホテルで、個人客もオランダ人がほとんど。車のナンバプレートも黄色いオランダーナンバーが多かった。朝食は豪華なバッフェットだったから、ゆっくり、たらふく頂いてから、11時過ぎに出発をした。1時間弱で、この水郷地帯の中心の町、LUEBBENAU(リューベナウ)に到着する。まだ船着場の近くの駐車場が空きがあったので、そこに車を入れる。いたるところから、ベニスの町と同じように遊覧のための平底船(KAHNカーンと呼ばれる)にのり込めるようになってはいるが、駐車場のすぐ横の船着場は3時間のコースしか売りたくないようだったので、少し待ってはみたものの、一番大きな、観光局のあるほうの船着場へと向かう事にした。1日に何回かしかTOURをくめない状況なら、少しでも長いコースに乗せてしまいたい気持ちはわかる。こっちの方は、大きな乗り場なので、2時間、3時間、4時間のコース別に船が並んでいて、並ぶ必要もなく、すぐに乗船が出来た。私の船頭さんは、若手でなんとなくケビンコスナーばりのカッコいいお兄さんだった。私は進行方向を向いていたので、後ろを振りかえって写真に収めたのだけど、う〜ん残念。ちょうどひじが邪魔です。語り口も朴訥で非常に好感が持てた。平底船は全長約8Mほどで全席乗船すると17人と船頭さんで定員である。
船着場と船頭さん 
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我々は20歳ぐらいの2カップルの隣に座ったが、若者達にはなんとなく迷惑そうな顔をされて、フレンドリーな感じは無かった。でも考えてみると、失業者の多いこの地域で、片やSONYのビデオ、片やデジカメを持参で現れた謎のアジア人とドイツ人のカップルは敬遠されて当たり前だった。ちょっと肩身が狭いという感情に陥る。
明日明後日と、日曜と復活祭の月曜日のために一切物品販売の店が休みとなるため、旦那の朝食用のパンを買うために、先ほどこの町のごった返したスーパーマーケットに寄り道をした。会計は長蛇の列。我々はいつものことと、あきらめ顔で一番後ろにくっついた。そのとき、若い坊やが、僕のところが開いてますから、品目の少ない人は僕のCASHERを使ってくださいと、わざわざ自分の持ち場からはなれて、呼びにきてくれた。感激である。まずこんなことは珍しい。元の西なら皆無といってもよいだろう。自分の仕事の量をわざわざふやす人は、お客様は神様ではなく、売り子が王様のこのドイツではいないと思っていただけに、感激した矢先に、そのさっきの坊やとほとんど同じくらいの若者に、羨望ではなく、憎しみを感じる目で見つめられたときには、少し悲しかった。我々が乗った船にもドリンクは置いてあったが、契約しているのかどうかは定かではないが、右の写真にあるような出店がところどころにあって、このあたりの名物のきゅうりの酢漬けや、蜂蜜を売っている店に5分ほど停船する。ソルブ人の民族衣装を着た若い看板娘達が待っている。
    
ケビンコスナー(船頭さん)の話によると、船の値段は一艘3500EURほどで、アルミニウムの船だとその倍の7000EURほどだそうだ。旦那も私も、意外と安く出来るのだとは思ったけれど、毎年大事にメンテナンスをするお陰なのだろう。右の写真もシーズン到来で、船の手入れに余念がないおじさんの姿がある。コールタールをぬっているらしい。彼も勿論このあたりで生まれ育ったそうだ。昔は作った作物とくに、西洋わさびや酢漬けきゅうりを大都会のBERLINまで1週間もかけて、この平底船に乗せて行商にいったそうだが、彼もそんな時代は知らないそうだ。でも父親が1度BERLINまで、彼を乗せて学校の休みに連れて行ってくれたそうだ。
ほとんど流れていないように見える水面だが、シュプレー川には変わりなく、本当にかすかだが傾斜があって、流れているのがそうだ。この運河のように見える水郷地帯のシュプレー川の全長は1000KMを越える。流れも300以上に達するそうだ。かつてはそれこそ、泥の沼がひろがっていたところを、彼らの先祖達が根気よく干拓と開墾を繰り返した結果の産物である。水深は深くても2Mほどだから、4Mの舵取りをかねたオールで水の底をついて進んでいく。セーターをいていた私が汗ばむほどの良い天気だった。若者達はジャケットの下はもう半そでのT-シャツ姿。船の中のお客さんはなぜかグループできているババリア人。犬も一緒に乗っていることを私は休憩の場所で乗降するまで気がつかなかった。最前列の席が一番カップルには最適で、進行方向を向いて2人ですわれる。
そんなにとりたてて、うるさく騒ぐ人もいなかったのが良かった。グループのドイツ人はおしゃべりが始まったら、ちょっと手のつけられないところがあると思う。イタリア人やラテン系の人に対してはそんな風に陽気に騒ぐという、ステレオタイプ的な見方があるが、ドイツ人というのは逆ステレオタイプというか、寡黙そうに思えるが、決してそうではないと思う。おしゃべりな人も多いと思う。まあ、花見では日本人も騒ぐのでいっしょかな。
すべるように船は進んで、野外博物館のある場所にて40分の休憩があった。白いバラ科の花が咲いていたが、ソメイヨシノでは断じて無いのはわかるのだが、、。西洋なしか、さくらんぼの種類かも知れない。他の木々はまだ芽吹くところまではいってはいない。屋根も無くじりじりと焼かれるような直射日光下で、1時間以上いたのでもう喉が空からだった。冷たいピルツビールでも飲まないとと、写真をとった後は一休みをする。


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野外博物館と魚のいけす

一体なんそうぐらいのカーンが行き来をしているのだろう?この平底船は個人の持ち物で、それぞれの家族が観光客相手に商売をしているようだ。無数に散らばり島には、家があるがこれも休暇の家に貸しますという、標識が立っていたり、お部屋貸しますやら、レストランになっている。